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「世界をおおいに盛り上げるサンドウィッチマンとカロリーゼロ理論」追記「サンドウィッチマンと東日本大震災」

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ラブラブなふたり

いや、タイトル『涼宮ハルヒの憂鬱』か!『涼宮ハルヒ』みたいになってるよ。

、、、。

どうもこんちゃーす。オケなしです。

みなさんは好きな芸人さんとかいますか?

ぼくは何人かいるんですが、世界でいちばん好きな芸人さんは、

圧倒的にサンドウィッチマンです。

ネタの完成度や安定感、ネタの幅広さ、漫才もコントもできる、ツッコミの伊達ちゃんはボケもできるなどお笑い界でも1・2を争う実力の持ち主。しかも、ふたりの人柄の良さが随所に感じられる。

ぼくは、ほぼ毎日サンドウィッチマンのネタを観ている。飽きても気が付いたら、サンドウィッチマンを観ているくらいぼくのルーチンワークになっている。

そんなサンドウィッチマンについて、記事にしていきたいと思います。

 

サンドウィッチマンの歴史

 

サンドウィッチマンのことをあまり知らない人も知っている人も一緒にその歩みを見ていきたいと思います。

 

メンバー

 

伊達みきお つっこみ 1974年9月5日生まれ (45) 宮城県泉市(現・仙台市泉区)出身

富澤たけし ボケ   1974年4月30日生まれ(45) 東京都板橋区出身

 

ネタによっては、逆になることもある。通称「男シリーズ」などがそうだ。 

 

・1998年9月、福祉関係の仕事についていた伊達を3年かけて、富澤が口説き落とし、コンビ結成。同年に仙台から上京し、コンビ名を「親不孝」とする。その後、24歳の時にホリプロの同期であった浜田ツトムを入れたトリオとして「サンドウィッチマン」を結成する。このときは浜田がツッコミで、富澤と伊達がボケを担当していた。わずか1年で浜田が脱退するが、「サンドウィッチマン」のまま現代にいたる。

・30歳になっていたふたりは、2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らして片っ端からライブに出演していく。そんな中、ついにその実力がテレビ関係者の目にとまり、日本テレビ系『エンタの神様』への出演が決定。そして、2005年5月28日、『エンタの神様』に初登場。「ピザのデリバリー」のネタを披露。以降は知名度が上がり、同番組に定期的に出演するようになる。

2007年12月23日、M‐1グランプリで大会史上初となる敗者復活戦からの優勝を果たす。これが、コンビとしての大きな転機となる。

・2009年5月11日、伊達がフリーアナウンサー熊谷麻衣子と結婚することを自身のブログで公表、7月11日に挙式・入籍した。また、同年6月8日、富澤が年下の一般人女性と2009年4月2日に入籍していたことを、所属事務所を通じて公表した。

キングオブコント2009にて、初登場にして準優勝を果たす。

 優勝は東京03。翌年以降は出場していない。

・2009年、夏~秋にかけて、初の全国ツアーを開催。以後も毎年開催され、コンビの活動の柱となっている。

2010年7月1日、約5年間所属したフラットファイブを離れ、担当マネージャーと共にグレープカンパニーを立ち上げた。同時に、フラットファイブに所属していたほとんどの芸人は、グレープカンパニーへ移籍した。これは、フラットファイブの社長兼夫婦芸人であるホロッコサンドウィッチマンのM‐1優勝に触発されて漫才業を再開したことを理由とする円満移籍である。

2012年から、中川家・ナイツと3組で「漫才サミット」と称する合同ライブを定期的に開催、各コンビが持ち回りで主催する形で全国を巡っている。

・2017年には、全国ツアーの一環として、自身初の海外公演となる結成20周年記念ロンドン公演を開催。チケットが即日完売となる。

2018年、日経エンターテインメント発表の「好きな芸人ランキング」で、調査開始以来14回連続でトップに君臨していた明石家さんまを抜き、1位にランクイン。

2019年、日本とスペインで活動するピアニスト・川上ミネとのコラボレーションで、初のスペイン公演を行った。

 

       参考:Wikipediaより

 


【公式】サンドウィッチマン コント【女将の男】

        

サンドウィッチマンの伊達ちゃんがボケをする「男シリーズ」の魅力を語る

 

サンドウィッチマンの男シリーズをご存じですか?

このシリーズでは、伊達がボケを、富澤がツッコミを担当する。

このコントでは、サンドウィッチマンの最大の武器であるスピード感がないのだが、別の魅力がある。

このシリーズでは、伊達がネタを考えるのだが、富澤が考えるときのようなキレやうまさがない。しかし、伊達のみせるアドリブに対して、富澤が笑いながらツッコむそのゆるさがなんか癒される。

この男シリーズのように普段は伊達がボケることが多い。それに対しての自然な富澤のツッコミ。そのサンドウィッチマンの日常を考えるとほっこりするのはぼくだけでしょうか。

 

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 サンドウィッチマンが分かるエピソード:東日本大震災サンドウィッチマン

 

こちらの映像では、当時の映像が流れます。


サンドのぼんやり〜ぬTV 26(2011)気仙沼ロケ(前編)


サンドのぼんやり〜ぬTV 27(2011)気仙沼ロケ(後編)

 

    参考サイト:「FNN.jp   PRIME online」

      記事名:「震災が人生一変させた、、、サンドウィッチマンが”芸人人 生”を懸けた3つの決断」

 

2011年3月11日。

 

この日、東北でのレギュラー番組の撮影のため、宮城県気仙沼市を訪れていたサンドウィッチマン地震が発生した午後2時46分は、撮影がちょうど休憩に入ったところだった。

地震発生時に、サンドウィッチマンたちがいたのは、海沿い。30分以内には、10メートルを超える津波が来るとの情報が入り、津波から逃れるために安波山に避難した。

スタッフの迅速な対応で安波山に着いた一同は、そのあと、気仙沼に押し寄せた非現実的な光景を目の当たりにすることになる。さらに夜になると、サンドウィッチマンが昼間にロケをしていた気仙沼の町は火の海になっていた。

震災翌日、サンドウィッチマンは急遽、ラジオ番組に出演。

「ぼくらはどうしようもない」「見ていることしかできなくて」と生々しい様子がふたりの口から語られた。

 

サンドウィッチマンの3つの決断

 

そんなサンドウィッチマンが芸人人生を懸けたともいえる3つの決断がある。

一つ目は、「義援金の立ち上げ」。

 

被災してから5日後、東京で『東北魂義援金』という、義援金立ち上げの会見を行った。その会見での表情は普段とは違い、重く固いものだった。

 

芸人の先輩から「先頭切ってアクションを起こせ」と背中を押されたことがきっかけで、義援金を立ち上げたと明かすが、同時に救いたいけれど何もできない無力さを痛感したことを明かした。

 

そして、「何かできることはないか」と考えたときに、芸人として”笑いを届ける”以上に、「募金しかない」という思いに至り、偶然気仙沼にいて生きて帰ってきたからこそ、震災の当事者として伝えることが”使命”だとも話した。

 

会見の最後には、「笑いあえる日が必ず来る」、「必ずまた笑いを届けられる」と、いつか被災地に笑いを届けることを誓った。

 

なぜ、募金活動という決断をしたのか、芸人廃業まで覚悟したという当時の心境をとある番組で坂上忍に明かした。

             (番組名:「直撃!シンソウ坂上」にて)

             *動画がなかったので、貼れませんでした。

 

「何ができるかなって思った時に、お金が必要になってくる。現金や通帳を家に置いて避難している人がほとんどだったので、募金を集めようと決めました」と伊達みきおさんは打ち明けた。

 

ただ、この決断は芸人としては正しかったのか、、、そう悩んだという2人に坂上「周りから見れば『偉いね』という色がついてしまう。そう思われていい職業なんだろうかっていうのもありますよね」とその葛藤に共感していた。

 

「そこは正直『?』でした。芸人としていいのか、僕ら見て笑ってくれる人いなくなるんじゃ、とか話し合ったんですけど、富澤がそういうイメージが付くかもしれないけど、それを超える面白いことをやればいいんじゃないかって言ったんです。富澤がこういうことを言っているのであれば、全力でそっちの方をやってもまだ間に合うかなって思って」    伊達みきお

 

「このご時世、いろんな見方をされる方がいて、”売名行為”という話も出たり、、、」

坂上が問いかけると、富澤たけしさんは、「”売名”ってちょっとショックだったのは、俺らそんなに売れてなかったんだ、、、」と落ち込んだという。

 

2つめの決断:ラジオ番組への出演

 

震災から1週間、メディアは災害放送中心の自粛ムードの中で、ある番組からサンドウィッチマンに思いもよらぬ話が届いた。

 

それは、「オールナイトニッポン特別放送」のMC。

 

なぜ、この特番を2人に任せたのか。プロデューサーの富山雄一さんは「震災から3~4日ぐらいは災害報道ということでニュースをやっていたが、サンドウィッチマンさんが募金活動をブログ等で表明していて、東日本大震災に対してラジオとしてのメッセージが出せるのではないか」と考え、放送の前日にオファーしたと明かした。

 

また、富山さんは「東北放送という宮城県で流れているラジオも、それまではずっと生活情報を流していたんですが、『サンドウィッチマンオールナイトニッポンだったら、ぜひ宮城県内で放送したい』というので、お2人もどうやって被災地に向けてメッセージを発信しようか、2時間はかなりハードルが高かったのでこわばっていたような印象があります」と振り返った。

 

被災地でも放送されるラジオ番組への出演に、サンドウィッチマンが最も悩んでいたことは時報明けの入り。富山さんは「被災地、被害者のみなさんに寄り添う言葉を発して、気持ちに答えた上で入っていくのが普通なのですが、『オールナイトニッポン』か『被災地に寄り添うラジオ番組』かというところに、ギリギリまで悩んでいたと思います。言葉から入るか、ショートコントか、、、」と明かした。

 

放送7分前に伊達さんが更新したブログには、「俺たちの仕事は芸人です。人を笑顔にさせてナンボの世界に14年います。被災地の皆さんに聞いてほしいです。元気に行くぞ!」と想いがつづられていた。

 

そして、番組のオープニング。サンドウィッチマンが出した結論は「ショートコント」。

 

この放送を聞いたリスナーたちから、「震災後笑ったのは初めて」や「こんな時だからこそ、暗くならずに笑いを届けてください」というメッセージが届いた。

 

3度目の決断:被災地でのライブ

 

サンドウィッチマンが芸人人生を懸けたともいえる最後の決断、それは「被災地ライブ」。

 

実際に東北でお笑いライブをやるまでに約1年半かかった。

 

伊達さんは「何度も被災地には行っているんですけど、まだ違うな、まだ違うな、、、」と感じていたというが、何度も行くうちに知り合いができた岩手県の大船渡からライブの誘いを受け、大船渡でのチャリティーライブを決めたという。

 

震災発生から1年4ヵ月の2012年7月29日。

 

サンドウィッチマンが震災後、初めて東北でお笑いライブをすることを決断した。

 

トラックの荷台がステージで、場所は駐車場というお笑い芸人にとって、決してベストという環境ではなかったが、800人を超える地元の人々と一人一人,硬い握手を交わした。

 

「まだ笑いはいらないのでは、、、」そう感じていた二人を被災地の人たちは温かく迎えてくれた。

 

「僕らを見て震災を思い出してください」

 

そんな彼らは、今でも続けている「東北応援バスツアー」という活動がある。

 

2013年から開催し、東京のお客さんと一緒に東北の被災地へ出向き、少しでも復興の手助けになればという思いで行っている活動。

 

多忙なサンドウィッチマンだがプライベートでも東北を訪ねて、地元の人たちの交流を絶やさないでいた。

 

震災を経験したサンドウィッチマンが、東北と向き合う活動は今年で8年目。今やテレビに出ることが東北を元気づける存在にまでなった。

 

さらに、二人が毎年3月11日に必ずしていることがある。自分たちが避難した安波山に登り、気仙沼の人々と黙とうをささげることだ。

 

東北を支え続けた8年間には、意外な人物が支えてくれたという。

 

「『お前らが先頭切って動け』と言ってくれたのは、(島田)紳助さんなんです」と伊達さんが告白すると、坂上は驚きを見せた。 

      *番組名「直撃!シンソウ坂上」にて

 

続けて「和田アキ子さんからも電話を頂いて、富澤に『私、どうしたらいい?あなたたち、一生懸命頑張りな』とエールを頂き、いまだに毎月、義援金を僕らの口座に振り込んでくださるんですよ。ずっとです。僕らがやっていることを、後ろで大先輩たちが見守ってくれているような気がして。我々が立ち上げた『東北魂義援金』は、今もう4億円を超えているんです。こんなことになるとは思わなかったです」と話した。

 

そして、坂上は「これからのサンドウィッチマン」について訊くと、富澤さんは「震災の影響で『サンドウィッチマンは良い人』みたいなイメージがあったので、『バイキング』が始まるときにやった、地引網クッキング』でイメージをめちゃくちゃにしてやろうと思ったんです」と告白。


バイキング 地引き網にイケメンシェフ再び Part 12 14 09 22

 

そんな背景があったのかと驚く坂上だが「全然下がっていない」と指摘すると、富澤さんが「そうなんです、上がっちゃったみたいな。あとは、坂上さんと絡むと勝手に好感度が上がってくると思う」と笑いを誘った。

 

すると、坂上も「それ分かる」と同意しつつ、「なんとかサンドさんの好感度を下げようと頑張れば頑張るほど、俺が下がってサンドさんが上がるんだよ」と嫉妬すると、富澤さんが「その感じはありますね」と納得していた。

 

震災を機に、お笑いを続けるかどうか悩み、それを二人で乗り越え、東北と向き合ってた8年間。彼らの被災地への活動はこれからも続いていくだろう。

 

最後に

 

どうでしたか。長い記事になりましたが、少しでもサンドのお二人について興味を持ってもらえたら本望です。

 

サンドウィッチマン

高い実力とプロ意識だけではなく、ふたりのあたたかい人間性は多くのファンの心を救っている。

今日もまたサンドウィッチマンに癒されながら、ブログを書くことにするよ。

 

 

サンドウィッチマンの東北魂 あの日、そしてこれから

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