「アドラー心理学」なら"ぼくを救えるか"
どうもこんちゃーす。本多心理学の開祖・オケなしです。
みなさんは、「アドラー心理学」というものをご存知ですか?具体的には知りませんが、名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれません。何年か前にベストセラーになった「嫌われる勇気」でおなじみのアドラー心理学です。
ぼくも100%理解できてはいませんが、ある程度は理解できています。
ぼくはこの「アドラー心理学」を心理学とは認知していません。心理学というよりは、「自己啓発」や「宗教」、「哲学」のほうが近いと思います。簡単にいうと「生き方の指針」となるような思想です。
アドラー心理学の詳しい説明は省略します。
みなさんには、トラウマと呼べるものがありますか?ぼくには、あります。
だれしもあると思うんですよね。トラウマとはいえなくても嫌な思い出ぐらいは。
ぼくは特に恋愛において、それが強いようですね。またフラれるような気になるのですね。告白してもフラれるビジョンがある。また"なくしたくない"という愛情がだれよりも強く、臆病になってしまう。そんな自分を好きになれない。
抜け出したくてもなかなか抜け出せない蟻地獄みたいなのが「トラウマ」なのだ。
そんなトラウマの解決法は?
いくつかあると思うんですよね。
例えば、仏教の見地からたてば"それはしょうがないもの"だと悟ること。生きることは"苦"なのだから、トラウマな苦のひとつにすぎない。
つまり、トラウマと共に生きることを選ぶ。それは、心を救うことにはなるが、トゲをぬくことを選択しないということでもある。
心は救えるが結果は変わらないともいえる。現象は変えれない。
それは真理だと思っている。事実、「仏教」の教えによって救われた。「トラウマ」は変わらないのだが。
もうひとつが、アドラー心理学だと思っている。
アドラー心理学の核となる教えに、「トラウマは存在しない」という教えがある。
例えば、
Aさんに振られる=Bさんに振られるわけではない。
それは分かる。しかし、告白してフラれるという経験が恐怖となり、「またフラれるのではないか」と錯覚させてしまう。
それは、錯覚なんだと。気のせいなんだと。
すべてのトラウマは錯覚だ。
トラウマなんか存在しないんだから➖と。
それも正しいと思える。
だから、そう思えれば楽なのになと思える。
トラウマなんか存在しない➖と理解し、行動することには勇気がいる。
またフラれる覚悟が、傷つく覚悟がいる。嫌われる勇気も必要になる。
ぼくはいつか、その覚悟を持たないといけないだろう。愛する人と一緒にいたいのなら。失う覚悟も。
アドラー心理学と仏教の教えがぼくにはある
だから、どんなに傷ついても、また笑えると信じる。コロナでも生きているんだ。
だから、傷つくことを恐れないで歩いていけばいい。
いつか。ぼくにその決心がついた日が
繰り返しになるか?
それとも?