ZeTMAN -ゼブンジャー 序章其ノゴリラ 「勝手に殺すな ワンワンパニック」
「勝手に殺すな、ワンワンパニック!」
目が覚めて、一言目がこれだ。一体、ぼくはどんな夢を見ていたんだろう。
「わん」
「オルバさんよぉ。それは、レイカさんのセリフです」
「わたしは犬じゃありませんよ」
「あいかわらず、ミステリアスだ」
「ミリテリーは読みますが。ミステリアスではありません」
「ぼくは、ミステリーを読みますが、ぜんぜんミステリアスではありませんがね。それよりも、ぼくはなんでここに?」
「オーマイガー!記憶喪失になってしまったんですねー。オーマイゴッド!」
「オーマイゴッド言いたかっただけだろう!てか、記憶喪失じゃないし。ただ、ちょっと錯乱しているだけだ!いま、思い出したぞ。勝負に負けたら、ぼくを執事として雇用するみたいな」
「執事として雇うとは一言も言っとらんわ。ひつじとしては、雇用するが」
「ひつじはレイカさんです」
「もうそのやりとりは飽きました」
「レイカさんがいちばんお笑いを理解している説あるな」
「飽きたで思い出したが、もう勝負に飽きたわ。一向に絶斗くんががんばらないんだもん。ていうか、もう時間過ぎてるし」
よし、そのまま執事として雇用してくれ。レイカさんのもとで修行させていただきます。
「ということで、今から流しそうめんをしよう」
「は?なんでそうなるんだよ!」
「ま、世の中の垢を流すようにそうめんを流すんじゃ」
「そのそうめん、垢ついてるってことになるが」
「細かいことは気にするな。男ならばな」
「キリッじゃねんだよ。そんな顔しても誤魔化せねえぜ」
「さ、するのしないの。それとも帰る?」
すぐ帰るのもどうかなと思ってしまう。ふわりには悪いが、もうちょっとだけ不可思議な老人と絶世の美女と戯れるのも悪くない。
「ま、いいでしょう。やりましょう」
「素直になればいいものを」
流しそうめんをしても全く垢はとれそうにないが、意外に楽しかった。箸で取れたり取れなかったり。異性と同じで気まぐれなのだ、これが。
なんやかんやしているうちに帰るどころかまた夜に突入してしまった。さすがに少しだけ、家が恋しくなったりもする。
夕食も昨日と同じように豪華なラインナップだった。どこにそんな財力があるのか不思議だ。いまは純粋にその味を噛みしめる。
「でもオルバさんはなぜ、ぼくをここに連れてき
たんですか?」
「ただの老人のきまぐれじゃ」
「気まぐれって」
「いつもやっとるんじゃよ。話し相手がほしくてね」
正直、まったく解せない。話し相手なら、レイカさんがいるはずだ。それに、オルバのひょうひょうとした雰囲気からときどき、なにか異端を感じる。その異端を表現する言葉は思いつかないが、少なくともオルバは只者ではない。事実、この世界自体が説明できない。
ここはどこなのか?だれも知らない世界の住人。オルバという謎の老人の正体はいったいなんなのか。
「わしが気になるかね、少年よ。では、私からひとつヒントをあげよう。"わしが問題じゃない。問題なのは、お前じゃ"」
「はぐらかしてんじゃねえよ」
「どう捉えるかはお前しだいじゃ」
「ま、ぼくの人生はぼくが決めるけどな」
「なに、かっこつけてんじゃよ」
「かっこつけてんじゃなくて、かっこいんだよ。ですよね、レイカさん?」
「ちょっとなに言ってるか分かんないです」
これは、正しい表現である。
ぼくは、この瞬間を思いっきり楽しもうと思った。レイカさんもオルバも夢の話だと思っていたから。期間限定のキャラクターで、ぼくやふわりとは違う。イベントが終われば、何事もなかったかのように日常が送られると思っていた。
この世に変わらないものなんてないのだから。ぼくはそれを理解していなかった。仏教では、それを諸行無常と教えている。仏教のもっとも根本的な教えだ。しかし、仏陀に言いたい。
「こんな激流をだれが望む?」と。
翌日の朝食をリビングで済ませる。目玉焼きとベーコンだった。シンプルにおいしいと感じるのは、ぼくが庶民だからだろうか。
そしてオルバが「さて、帰るかの、小僧」とぼくに言ったのは、9時過ぎてからだ。
「あの、オルバさんありがとう」
「なんじゃい、気持ち悪いの」
「文句ばっかりだったのに、こんな美味しい食べ物ばかり振る舞ってもらって」
「本心は違うじゃろう。このスケベ」
「さて、なんのことやら」
「絶斗、ひとつ問うていいかい?」
急に真面目な顔をするオルバがちょっとおかしい。が、笑うのは失礼だ。
「なに?オルバさん」
「もし自分の大切な人、そうじゃな結婚してもいいと思える女性がいて、その女性を殺さないと世界が救えないとしたらどうする?その女性は悪魔の生まれ変わりだったんじゃよ」
「悪魔の生まれ変わり?」
「そうじゃ。そして世界を破壊できるだけの力を秘めていて、それがいつ暴走するかも分からない。そいつに悪意はなく、むしろ優しい子じゃ。それでも殺すか。殺さないかを選ぶんじゃ」
「殺すことは絶対できないよ。でも殺さなかったら、自分の大好きな世界が壊れるかもしれない。だったら、ぼくはそれをさせない。彼女と共に死ぬか。一緒にどうするか考える。そしてこんな問題なんか知るかい!ぼくの彼女は天使だから大丈夫だ」
「面白いね、きみは」
どこがだろうか。
「ぼくは別に面白いとは思いませんけどね」
オルバのつまらない質問に対して、皮肉で返してやる。
「この小僧が。レイカくんに言いつけてやる」
「なにをですか?」
「レイカくんに対していつも良からぬことを考えていることじゃよ」
「ぐぬぬ。ぐ」
「冗談じゃよ。それではな。少年。また遊ぼうぞよ」
「ぞよってなんだよ」と言葉にしたところで、場面は何事もなかったかのように、近所の歩道橋になっていた。もちろんオルバとレイカさんはいない。不思議とぼくが注目をあびているのは気のせいではあるまい。
「さては、風の噂かな。だれかがぼくを呼んでいる〜」と〜の部分でビブラートをきかせながら、歩道橋をおりる。完全にぼくは頭がおかしいやつだと
思われただろうな。もしくは、ミュージカル俳優の奇妙な練習風景か。