マイケルジャクソンの光とヤミ
Michael Jackson - Beat It (Official Video)
どうもこんちゃ–す。2ヶ月以上無収入のオケなしです(今は介護の仕事をやっています)。
早く10万円入らないかなと待ち遠しく思っています。たぶん、その前に給料が先に振り込まれるでしょうが。
それはおいといて、コロナの終息が全く見えてきませんね。日本だけではなく、世界はこの問題とどう向き合っていくのか。我々国民は最大限の予防をしながら信じて待つしかできません。
そんなときだからこそ、音楽の力に救われているという方も多いはずだ。
ぼくは最近、マイケルジャクソンの「マンインザミラー」をよくいえで歌っている。実家暮らしだから、苦情も聞かない。「また音痴が歌いようばい」と親にたまに言われますが。
ところで、マイケルジャクソンって?
Wikipedia先生、おねがいしまーす🤲
マイケル・ジョセフ・ジャクソン(Michael Joseph Jackson、1958年8月29日 - 2009年6月25日)は、アメリカ合衆国出身の総合芸術家。歌手、作曲家、舞踊家、平和活動家など、その活動は多岐にわたる。人類史上最も成功したエンターテイナー。1989年以降、一般的に「キング・オブ・ポップ」と称されている。
ポピュラー文化の形成に多大なる影響を与えた人物の一人である。これまでに全世界で3億枚から3億5,000万枚の音楽作品を売り上げており、ビートルズやエルヴィス・プレスリーに次いで史上最も売れた音楽家として名を連ねているほか、グラミー賞を13回受賞している(ノミネートは38回)。
概要
1958年、アメリカ合衆国インディアナ州の貧しいアフリカ系家庭に生まれ、幼い頃から兄弟たちとともに音楽の才能を発揮。1970年代に兄弟グループ「ジャクソン5」の天才リードシンガーとして一世を風靡する。
ソロ活動を中心に据えた1980年代、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えた三部作『オフ・ザ・ウォール』『スリラー』『バッド』で前人未到の成功を手にし、名実ともにポピュラー音楽界の頂点に立つ。
1990年代以降も『デンジャラス』『ヒストリー』といった大ヒット作を生み出し続けたが、一方で私生活や容姿に関するゴシップや数々のスキャンダルがメディアに取り沙汰されるようになり、心労で鎮痛剤や睡眠薬への依存に悩む。
2009年、大々的なカムバックとなるはずだったツアー「THIS IS IT」の実施を発表するも、公演開始1ヶ月前の6月、急性プロポフォール中毒により50歳という若さで息を引き取った。
歌唱法編集
4オクターブもの音域を持つといわれるマイケル・ジャクソンは、その独特な歌声で人気を博してきた。
ジャクソン5時代から『オフ・ザ・ウォール』の頃までは声のよく通るソウルフルな歌唱法が見られるが、『スリラー』以後はよりポップやロック色を強めていった傾向がある。
基本的にマイケルの声は年を重ねるごとに深みを増していったが、彼はキャリアを通じて歌唱力を維持するための努力を欠かさなかった。2001年発表の楽曲『2000ワッツ』ではデジタル処理で声を加工したのではないか(実際は加工されていない)と囁かれたほど低い声で歌っていた一方で、同じアルバムに収録された『バタフライズ』では驚くほど柔らかなファルセットを披露するなど、その多彩なボーカルレンジは晩年まで健在であった。
ボイス・パーカッションも得意としており、曲を思いついた時にはまずそれをテープレコーダーに録音していたという。マイケルは1992年のオプラ・ウィンフリー・ショーにて『フー・イズ・イット』をボイスパーカッションのみで披露しているほか、1995年発表の『タブロイド・ジャンキー』では曲の基本ビートとしてボイスパーカッションを導入している。
ダンス編集
『ビリー・ジーン』のパフォーマンスで必ず披露される「ムーンウォーク」をはじめ、爪先立ち、スピン、足で蹴る動きなど、マイケル・ジャクソンのダンスはフレッド・アステアなどに強い影響を受けており、キャリアを通じて彼を象徴する代名詞となっていった。
『スムーズ・クリミナル』の振付に登場する、体全体を斜め45度に傾くパフォーマンスは「無重力傾斜(アンチ・グラヴィティ・リーン)」と呼ばれ、それを行うのに必要な特殊な靴の開発において特許を取得している。
パントマイマーとしても知られる。「パントマイムの神様」と称されるマルセル・マルソーは「マイケルは生まれながらのパントマイム・アーティストだ」と語っていたという。
マイケルは歴史だ
Michael Jackson - Heal The World (Official Video)
シンガーとして、パフォーマーとして、偉大すぎるマイケルジャクソン。たぶん、マイケルジャクソンほどのアーティストはもう現れないだろう。彼は歴史だ。
ぼくがこの先どんな努力をしても、どんな進化を遂げても、きっとマイケルジャクソンのマの文字にも到達しない。それは当然なのだが。ぼくはぼくであるのだから、ぼくにしかできないことをやればいい。だが、あの才能とそれを支えてきた鉄の努力をぼくは凄いと思い、そして敵わないと理解している。歴史には敵わない。挑もうとも思わない。だがいつか、どんな小さなジャンルでもいい。ぼくも歴史になりたいと思うのはおこがましいか。少なくともぼくなりに、鉄の努力を強いる必要があるだろう。
マイケルジャクソンのヤミ
Michael Jackson - Black Or White (Official Video - Shortened Version)
スターだからこそのヤミ。ぼくみたいな劣等生では理解できないだろうが、彼は何度となく誹謗中傷を受けてきた。
性的虐待疑惑と裁判編集
*マイケルジャクソンのWikipediaより抜粋
マイケルは少年に対する性的虐待をしたとして2度の疑惑をかけられ、それぞれ民事裁判と刑事裁判が行われたが、有罪判決を受けたことは一度もない。この一連の疑惑についてFBIも10年以上に渡る捜査と監視を行ったが、FBIはマイケルが有罪であるという証拠を一切発見できず、無実だったと結論づけている。
度重なる容姿の変化
度重なる整形手術や著しい肌の色の変化は、度々マスメディアを注目を集め、議論や憶測を呼んでいた。
初めて整形手術を施したのは『オフ・ザ・ウォール』から『スリラー』の頃で、1979年にステージで負った鼻の大怪我を早急に治癒する目的があった。1984年に負った頭部の大火傷で顔面の骨格や皮膚に後遺症が残ったことや、もともと幼い頃に家族から「デカ鼻」といじられ容姿にコンプレックスを抱いていたこともあって、その後も晩年に至るまで鼻と顎を中心に整形手術を繰り返したとみられる。1988年の自伝『ムーンウォーク』で自身が語ったところによれば、当時の時点で彼が施した整形手術の回数は「鼻が2回、顎が1回」であるという。
一方で、肌の色の変化は尋常性白斑という疾患に由来するもので、死後の検死報告で公式に明らかにされた。この持病を初めて自身が告白した1993年の「オプラ・ウィンフリー・ショー」で彼が語ったところによれば、病気が進行し始めたのはやはり『オフ・ザ・ウォール』から『スリラー』の頃で、体中の皮膚の色が斑状に変化していったという。90年代以降に病気は急激に進行し、外出中は紫外線を断ち切るために常に大きな帽子、傘、サングラス、マスクの着用を余儀なくされていた。長年彼のメイクアップを担当していたカレン・フェイは「彼も周りもずっと病気のことを隠そうとしていた。最初は白い部分を茶色のファンデーションで隠していたが、白斑が全身に広がると白くメイクするように切り替えるしかなかった」と話している。また、やはり1984年に負った頭部の大火傷も病気の進行を早めたと言われている。
キングオブポップが見た世界は?
彼が見た世界は、誹謗中傷であふれた苦痛だったのか。それともエンターティナーとしての華々しい世界だったのか。
そのどちらとも見たとぼくは思っている。
どんな人間だって挫折を経験し、同時に成功も経験しているはずだ。その大小はあれど。
ぼくみたいなぼんしょうなものでさえ、小さな成功を経験している(これで終わらせるつもりはないが)。
スターは孤独だ。
とぼくは聞いたことがある。
マイケルジャクソンは孤独だったと。
高いパフォーマンスで、ライブでも作品でも世界中のファンを魅了し、感動させた。世界中のスターやファンに愛され尊敬された。マイケルジャクソンは歴史だ。歴史は色あせない。
もしぼくがマイケルだったらなにを思うだろうか。なにを感じるだろうか。
スターとして生きるプレッシャーとは、どんなものだったのか。
たとえ、それを自ら選ぼうと。
自ら選ぶ覚悟があろうが、なかろうが、それはぼくごときでははかることも感じることもできない。
だがしかし、同時にこれだけは理解できる。
人前で自分のパフォーマンスを披露するわくわくだけは。それにぼんしょうも天才も変わりはない。スターも凡人も関係ない。
アーティストは魅せるために存在している。
そうだろう?